デジタルとフィルムの写真

XA313122201
OLYMPUS XA3 efiniti UXi200

しかし、よく写りますね。
フィルムならではの「ラティチュード」の広さも再認識。


DSCF1682-1
X20

富士のX20にて同じアングルで35mmの画角にして撮影。
素通しのファインダーを覗いてスカッと晴れた空を見るのはとても気持ちよかった。青い空にミカンらしきもののオレンジ色がとても映えていた。

富士の三兄弟はそれぞれ個性があって使っていて楽しい。
そこにフィルムカメラも加わると、さらに楽し。

コメント

  1. claris より:

    photo714 サンこんにちは、

    私は日ごろ写真をライトルームで現像するときにイメージするのは、その殆どが、ねがフィルムの質感です。
    デジカメの画素競争が進んで、一時高精細な写真をみて驚いていたこともあったのですが、すぐに飽きてしまいました。
    今回の2枚のミカンの木の写真も、上のフィルムで撮影されたものの方が好きです。

    なぜそうなるのか問われると明快な答えを提示することができないのですが、記憶に近いのが、フィルムの質感とでもいうのでしょうか。そんな感じです。私は25歳ぐらいまでフィルムの環境が一般的な時を過ごしてきましたから、やはりアルバムに変色しかけたフィルム撮影の子供のころの写真があるわけす。ですから当然そこに一種のノスタルジーを感じるわけですが、デジカメしか知らない世代の方はもう少し時間が経った将来、このようなフィルムライクの写真を見てどう思われるのでしょうね、なんとなく気になります。
    行く末はフィルムライクな写真などなくなって、隅から隅まで写ってしまい、そこに撮る側、見る側の感情とか想像とかを挟み込む余地のない写真であふれていくのでしょうか、そして僕は風変わりなオジサンと認識されるようになるのでしょうか、アハハ。気になるこの頃です。

    • アバター画像 Photo714 より:

      clarisさん、こんにちは。

      私も同じでフィルムの質感、雰囲気をつい追い求めてしまいます。
      デジタルだけれども写し出される画の雰囲気が自分好みという事もあって富士のカメラを使っていますが、富士のカメラは画もそうですが「撮る」と言う行為も楽しいのが気に入っているのかもしれません。

      今回のミカンの木は、XA3のファインダー&X20のファインダーを覗きサクサクとシャッターを切っていったのですが、素通しのファインダーをのぞいて撮る写真は気持の良いものでした。
      デジタルの方はこのアングルで露出補正をしないでシャッターを切ればこのような感じにはなるなとは思いつつそのままシャッターを切ったのですが、XA3で撮ったフィルムの写真には正直驚きました。
      見た目はおもちゃみたい形のカメラでこんなに雰囲気のある写真が撮れるなんて。

      やはりフィルムっていいですね。自分の人生の記憶の中にフィルム写真の「色」が刻み込まれていますので、clarisさんがおっしゃるようなノスタルジーを感じ、何とも言えない切なさや懐かしさを覚えます。

      子供の頃からデジタルなお子さん達が大人になったときに自分の幼少期のデジタル写真を見て我々と同じようなノスタルジーを感じるのか気になるところですよね。

      >隅から隅まで写ってしまい、そこに撮る側、見る側の感情とか想像とかを挟み込む余地のない写真であふれていくのでしょうか

      本当ですよね、最近ではやれ解像度だ、やれ高感度だとか、写真というかカメラのスペックばっかり騒がれますが、写真って数値では計れない雰囲気が重要なんじゃないかと。

      その辺は個人の感性ですから難しいところですが、フィルムなどは「必要以上に写りすぎない」からこその雰囲気や見たときに何かを想像出来るのかなと勝手に思っています。

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