日曜美術館

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Leica M3 Summaron 3.5cm f3.5 TRI-X 400

「沖縄へのラブレター ~写真家 東松照明~」 を見た。

もちろん本編も良かったのですが、とくに惹かれたのが、森山大道氏のセリフ。

「東松さんの場合はロマンチシズムじゃなくてリアリズム。
事実べったりのリアリズムでは無くて、写真が本来持ってる、あいまいな部分を絡めるという、そういう意味でのリアリズム。」

写真が持ってる曖昧さ…いい表現、流石ですね。

コメント

  1. majin より:

    嬉しいなぁ ♪ 東松照明さんの話題だ!。

    何年か前に名古屋で東松照明さんの作品展を観てきました。
    当時、デジカメでの特殊現像(派手なHDRとかね)に嵌まっていた時で
    何の気なしにふらっと観たという感じだったんですが、、、
    受けた衝撃が半端なくて!!
    それから「おお新宿」買って、自分の存在やカメラを意識させないスナップとは正対する意識させるスナップ写真ってやつに感銘したもんです。←これ今でも目標としてますが難しいなんてもんじゃあ無い!!殆どがただの記念撮影になってしまうんだな(涙

    森山大道さんもアラーキーを同じタイプの大御所写真家の方達ですが、僕の中で声が聞こえてくると思えるのは
    東松照明さんです。

    • アバター画像 Photo714 より:

      majinさん、

      東松照明さんの番組はよかったです。
      晩年には花の写真が多くて、そこにも何か響くものがありました。

      >自分の存在やカメラを意識させないスナップとは正対する意識させるスナップ写真

      たしかにとても難しそうですよね。撮り手と被写体の距離感もでしょうし。

      >僕の中で声が聞こえてくると思えるのは東松照明さん

      うーん、すごい。それって写真として究極な感じがします。

  2. yokosuke より:

    いいモノクローム写真ですね。好きです。
    僕も観ました。「写真が本来持ってる曖昧さ」逆に言えば、曖昧さを感じさせるのが写真。「人には人の写真。」ですけどね(笑)
    自分の写真に曖昧さを感じるだろうか。さらに言うなら、写っている影に蠢く何かを見たり、写っている光に枠から溢れ出すほどの何かを見たりするだろうか。何かを想像させる写真。
    大道さんは、こうも言ってました。太陽のえ鉛筆をめくりながら、何でもない写真、どんな写真にも「写真の原質を保ってる」と。
    ガツンとヤられました。自分に足りないのはここかなと。欲していいるのもここかなと。衝動的に撮った何てことのない空にも、そのときの自分の心情を色に変換して込めることもしますが、雰囲気写真がまだまだ多いなと感じています。東松さんの、あの傾いた海と空の境界線と浮かぶひとつの雲写真。なんてモダンなんだと。ただの海と空なのに。時代と人自身の変化予兆を感じました。曖昧さもありながら軸•哲学がある。自分の写真には哲学が無いなと日々感じています。あぁ、自分のブログにも転しようかな(笑)

    • アバター画像 Photo714 より:

      yokosukeさん、

      >いいモノクローム写真ですね
      ありがとうございます。

      >「写真が本来持ってる曖昧さ」逆に言えば、曖昧さを感じさせるのが写真。

      たぶん、その曖昧さがあるから見る側の人生のフィルターを通して色々と感じられるのでしょうね。

      大道さんの言ってた「写真の原質を保ってる」って、とても難しいですよね。
      それこそ、「写真の意味、本質、原点とは」的な哲学の域から考えないとってなりますし。

      曖昧な中でのリアリズムの追求…。相反するような二つの共存。
      そこを感じるのが写真の面白さなのかもしれません。

      >あの傾いた海と空の境界線と浮かぶひとつの雲写真

      あの写真の何とも言えない迫り来る感じはすごいですね。
      海と雲と空だけなんですけど。
      斜めの水平線の不安定感の中に海のコントラストの迫力に雲の自己主張というか存在感。

      >あぁ、自分のブログにも転しようかな

      ぜひ(笑)

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